探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-は-


バカン,ジョン(John_Buchan)

1876年(明9)、イギリス生まれ。母はグラッドストンの従姉妹。オックスフォード大時代には詩の賞を二つ受賞している。
1910年(明43)、冒険小説「プレスター・ジョン」を発表。
1915年(大4)、「三十九階段」を刊行し、本格的スパイ小説を生み出す。
そのほか、「緑のマント」、「妖魔の森」などの小説、「大戦史」、シーザー、クロムウェルなどの伝記、評論、詩などを発表し、映画、ラジオにも実業家としても関わる。
1927年(昭2)、国会議員に選出。
1935年(昭10)、カナダ提督に任命。
弁護士、政治家でもあり、男爵位も授けられ、トウィーズマー卿と称される。
1940年(昭15)、落馬が元で事故死。


長谷川伸(はせがわ・しん)

1884年(明17)生まれ。大衆小説家・戯曲家。十五日会、新鷹会、二十六日会、冬夏会、八日会など、小説、戯曲、テレビドラマの勉強会を主宰するなど、大衆文学の育成に努める。別名長谷川芋生、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人。
1911年(明44)、都新聞に入社し、中里介山、平山蘆江らと知り合う。
1917年(大6)頃から、「講談倶楽部」や「都新聞」に山野芋作名義で小説を発表。
1920年(大9)、「都新聞」に長谷川伸名義で「不鳴千鳥」を発表。
1925年(大14)、大衆文芸の振興を目的とした「二十一日会」同人となる。同人には中心となった白井喬司のほか、江戸川乱歩小酒井不木土師清二国枝史郎正木不如丘がいた。
1927年(昭2)には土師清二、小酒井不木、国枝史郎、江戸川乱歩とともに「耽綺社」を設立し、大衆文学の合作を試みようとした。
1954年(昭29)に「別冊週刊朝日」に発表した「四斗谷平次」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和30年度」に収録される。
1956年(昭31)に「別冊週刊朝日」に発表した「堀の小伝」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1957年(昭32)に「別冊週刊朝日」に発表した「三代目扇歌と女」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1958年(昭33)に「大衆文芸」に発表した「横浜租界」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和34年度」に収録される。
1961年(昭36)に「中央公論」に発表した「灯篭堂の僧」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和37年度」に収録される。
ほかに甲賀三郎と親交を結んだ。
1963年(昭38)、死去。

別冊幻影城掲載誌:16/


長谷川天渓(はせがわ・てんけい)

本名長谷川誠也。1876年(明9)、新潟生まれ。東京専門学校(早稲田大学)文学科卒。
「早稲田学報」の編集委員を務めたことにより、坪内逍遥に認められ、博文館に入社。「太陽」の編集をおこなう。また、島村抱月らと自然主義を推進した。
1910年(明43)、出版事業調査のためにイギリスへ渡る。
1913年(大2)、、早稲田大学にて英文学の講師となる。森下雨村とは講義を通して知り合い、その縁で森下雨村は博文館に入社した。
1925年(大14)、「探偵小説の主人公」を発表。
1940年(昭15)、死去。

幻影城掲載誌:9/

作家が語る探偵小説観/


土師清二(はじ・せいじ)

1993年(明26)生まれ。小説家。
善知鳥名義で劇評を執筆。
1923年(大12)、土師清二名義で、「水野十郎左右衛門」を発表。
1925年(大14)、大衆文芸の振興を目的とした「二十一日会」同人となる。同人には中心となった白井喬司のほか、江戸川乱歩小酒井不木長谷川伸国枝史郎正木不如丘がいた。
1927年(昭2)には長谷川伸、小酒井不木、国枝史郎、江戸川乱歩とともに「耽綺社」を設立し、大衆文学の合作を試みようとした。
1949年(昭24)、捕物作家クラブの副会長に就任。
1954年(昭29)に「小説倶楽部」に発表した「雨の絞首台」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和30年度」に収録される。
1956年(昭31)に「小説春秋」に発表した「牡丹の雨」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1957年(昭32)に「別冊週刊朝日」に発表した「奈良の神鹿」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1958年(昭33)に「別冊週刊朝日」に発表した「鬼子母」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和33年度」に収録される。
1958年(昭33)に「別冊週刊朝日」に発表した「町奉行再び」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和34年度」に収録される。
1960年(昭35)に「面白倶楽部」に発表した「買われた河内山」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和35年度」に収録される。
1974年(昭49)に「大衆文芸」に発表した「つるべ心中」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和50年度」に収録される。
1977年(昭52)、心筋梗塞により死去。

別冊幻影城掲載誌:16/


橋本五郎(はしもと・ごろう)

本名荒木猛。1903年(明36)、岡山県牛窓町生まれ。弟を殺害したが、執行猶予となる。
日本大学美術学科中退。別名女銭外二。
1926年(大15)、「レテーロ・エン・ラ・カーヴォ」と、荒木十三郎名義で「赤鱒のはらわた」が「新青年」の懸賞に入選。
1928年(昭3)、「新青年」の編集に従事。
1928年(昭3)、「新青年」に発表した「海竜館事件」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
1932年(昭和7)、「鮫人の掟」を「新青年」に発表。
1933年(昭和8)、「花爆弾」を「新青年」に発表。
1941年(昭16)、報道班員として南方に出征。小栗虫太郎、山本周五郎と行動を共にする。
1948年(昭23)、結核にて死去。

幻影城書庫:「鮫人の掟

幻影城掲載誌:25/36/37/45/


羽志主水(はし・もんど)

本名松橋紋三。1884年(明17)、長野市生まれ。東京帝大医学部卒。在学中には幸徳秋水と行動を共にしていた。のち、日本橋で医院を開業。落語、古川柳研究家。
1925年(大14)、「蠅の肢」を「新青年」に発表。
1926年(大15)、「新青年」に「監獄部屋」を発表。
1957年(昭32)、心臓大動脈瘤破裂にて死去。

幻影城掲載誌:25/


埴輪史郎(はにわ・しろう)

本名平楽太郎。1912年(明45)、安中市生まれ。日立製作所の社内誌「パンポン」を刊行し、ほかにも実話物や戯曲を執筆。渡辺啓助が主宰していた同人誌「科学小説」同人。
戦時中には「鍋釜談義」によって、日本厚生文化賞受賞。
1950年(昭25)、「宝石」の新人募集に「海底の墓場」が入選し、「別冊宝石」に掲載。

幻影城掲載誌:26/


埴谷雄高(はにや・ゆたか)

本名般若豊。1909年(明42)、台湾生まれ。 1931年(昭6)、日本共産党に入党し、1932年(昭7)に検挙され収監。1933年(昭8)にカントに影響を受け転向し、出獄。 1939年(昭14)、同人誌「構造」同人となり、平野謙、佐々木基一らと知り合う。 1946年(昭21)に平野謙、本多秋五らと創刊した「近代文学」に、1948年(昭23)から「死霊」を連載。 戦時中、平野謙、荒正人、佐々木基一、坂口安吾らと、探偵小説の犯人当てに興じる。
1948年(昭23)に発表した「意識」は日本文藝家協会の「創作代表選集 3(昭和23年度版)」に収録される。
1951年(昭26)、エッセイ「探偵小説の新領域」を発表。 1951年(昭26)、大井広介に協力し、覆面作家田島莉茉子名義で、「野球殺人事件」を「八雲」に発表したと目される。この作品は、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補となる。
1957年(昭32)に発表した「深淵」は日本文藝家協会の「創作代表選集 21(昭和32年後期)」に収録される。
1966年(昭41)に発表した「変幻」は日本文藝家協会の「文学選集 32(昭和42年版)」に収録される。
1968年(昭43)に発表した「宇宙の鏡」は日本文藝家協会の「文学選集 34(昭和44年版)」に収録される。
1969年(昭44)に発表した「《私》のいない夢」は日本文藝家協会の「文学選集 35(昭和45年版)」に収録される。
1997年(平9)、死去。


羽田和政(はねだ・かずまさ)

1954年(昭29)生まれ。推理小説研究家。

別冊幻影城掲載誌:6/9/


馬場孤蝶(ばば・こちょう)

本名馬場勝弥。1869年(明2)、高知市生まれ。自由民権運動の政論家、馬場辰猪の弟。
明治学院時代は、島崎藤村、戸川秋骨と同級。「文学界」同人。
慶応大学教授だったが、早稲田大学で講義をしていた頃、学生だった森下雨村と知り合う。
森下雨村が「新青年」編集長となると、海外作品について教示を仰がれ、1922年(大11)、「アラン・ポオの研究」を寄稿。
江戸川乱歩が処女作「二銭銅貨」を紹介もなしに馬場孤蝶に送りつけたが、返事がないのに苛立って原稿を採り返し、森下雨村に送りつけてデビューを果たしたという挿話がある。
1940年(昭15)、死去。

幻影城掲載誌:10/

作家が語る探偵小説観/


浜尾四郎(はまお・しろう)

1896年(明29)、東京生まれ。一高時代は大下宇陀児と同級生。東京帝大法学部卒。俳優協会の顧問弁護士を務めていたこともある。趣味も幅広く、清元の梅吉社中の名取りでもあり、麻雀連盟の名誉会長も務めていた。一高寮歌の作曲も手がけた。
祖父は男爵文学博士・法学博士の加藤弘之、父は医学博士の加藤照麿で、コメディアンの古川緑波は実弟。1918年(大7)に子爵枢密院議長、浜尾新の養子となる。息子は東宮侍従を務めた浜尾実と、ローマ・カトリック教枢機卿の浜尾文郎がいる。
1923年(大12)、「日本法政雑誌」に「犯罪人としてのマクベス及びマクベス夫人」を発表。
1923年(大12)、司法官試補となる。
1924年(大13)、東京区裁判所検事代理となる。
1925年(大14)、子爵となる。また、東京司法裁判所検事となる。
1927年(昭2)、「新青年」に「落語と犯罪」を発表。
1928年(昭3)、検事を辞職し、弁護士になる。
探偵小説は犯罪研究「歌舞伎劇に現れたる悪人の研究」などを読んだ小酒井不木森下雨村に勧められて筆をとった。
1929年(昭4)、「彼が殺したか」を「新青年」に発表。
1931年(昭6)、「殺人鬼」を「名古屋新聞」に発表。
1933年(昭8)、「鉄鎖殺人事件」を刊行。
1933年(昭8)、貴族院議員選出。
1935年(昭10、著作権審査委員拝命。
純粋本格理論の先駆者で、ドイルヴァン・ダインを信奉。また、法と裁判に対する公正さに疑問を投げかける作品も多く残した。
1935年(昭10)、脳溢血により死去。

幻影城掲載誌:28/日本長編推理小説ベスト99/


ハメット,ダシール(Dashiell_Hammett)

1894年(明27)、アメリカのメリーランド州生まれ。本名サミュエル・ダシール・ハメット。
家が貧しかったため、14歳から多くの職業遍歴し、1915年(大4)、20歳のとき、ピンカートン探偵社のボルチモア支局に入り、私立探偵の仕事に就く。
1921年(大10)に結核が悪化し会社を辞めた後、小説を書きはじめ、1922年(大正11)、ピーター・コリンスン名義で「帰路」を「ブラックマスク」に発表。
1925年(大14)、二人目の子供が生まれることから原稿料の値上げを交渉したが、決裂。小説の執筆を断念し、宝石店の広告担当支配人となる。しかし、結核が悪化し、退職。
1928年(昭3)、処女長篇「血の収穫」を「ブラックマスク」に発表し、大反響を巻き起こす。
1930年(昭5)、「マルタの鷹」を「ブラックマスク」に発表。
1932年(昭7)に「レッドブック」に連載し、1934年(昭9)に刊行した「影なき男」は、ペイパーバックが探偵小説としてはじめて百万部以上を売上げ、記念賞を得る。
1937年(昭10)、共産党に入党。
小説が次々と映画化され、自らもパラマウントのシナリオライターとなり、ハリウッドの左翼映画人と親しくなったが、赤狩りの時代が訪れると、1951年(昭26)に裁判所へ召喚されるが、証言を拒否、法廷侮辱罪で禁固刑を命じられる。
1961年(昭36)、肺結核により死去。
ハードボイルドの始祖である。


原抱一庵(はら・ほういつあん)

本名原余三郎。1866年(慶応2)、福島県郡山生まれ。札幌農学校卒。福島事件の巻き添えで未決監に入ったこともある。
森田思軒に師事し、思軒が訳して中絶したコリンズの「月長石」を、1889年(明22)に省庵居士名義で「月珠」のタイトルにて「報知新聞」に訳すが、未完。
1890年(明23)、「郵便報知新聞」に河野広中を題材にした冒険小説「闇中政治家」を発表。
1891年(明24)、コリンズの「白衣婦人」を「都の花」に訳すが、未完。
1900年(明33)、ドイルの「緋色の研究」を「新陰陽博士」と題し、「文芸倶楽部」に訳す。
1904年(明37)、酒に溺れて発狂死。


バリンジャー,ビル・S(Bill_S_Ballinger)

1912年(明45)、アメリカのアイオワ州オスカルーサ生まれ。本名ウィリアム・サンボーン・バリンジャー。ウィスコンシン大学卒。別名フレデリック・フレイヤー、B・X・サンボーン。
テレビ・ラジオのシナリオライターとして活躍、150篇以上のテレビ脚本と、8本の映画脚本を書いた後、1948年(昭23)、「ベッドの中の死体」を発表。
1957年(昭32)、「消された時間」を発表。
1980年(昭55)、死去。


伴大矩(ばん・だいく)

本名大江専一。1892年(明25)生まれ。別名栄寿王、山上逸郎。
1929年(昭4)、「新青年」にヴァン・ダインの短編「ベッケルト事件」を無署名で翻訳。1936年(昭11)にアンソロジー「現代世界探偵小説傑作集」に収録の際に大江専一名義とした。
1931年(昭6)、「新青年」に大江専一名義でE・W・ホールディングの「死の鎖」を翻訳。
1931年(昭6)、「探偵小説」に伴大矩名義でビガーズの「世界観光団の殺人事件」を翻訳し、1935年(昭10)には露下惇名義で「観光船殺人事件」として改題。
1932年(昭7)、クイーンの「和蘭陀靴の秘密」を「探偵小説」で訳し、クイーンを初紹介。
ヴァン・ダインと文通しており、クリスティカーなどの翻訳も手がけたが、翻訳工房的に訳していたので、訳文は粗雑だった。
没年不詳。


伴梨軒(ばん・りけん)

1920年(大9)、「新青年」第一回募集に「死人の眼」が一等入選。

幻影城掲載誌:20/


ハンショー,トマス・W(Thomas_W_Hanshew)

1857年(安政4)、アメリカ生まれ。別名シャーロット・メアリー・キングズリー。ニック・カーター叢書の作家のひとりであるともいわれる。
1891年(明24)、「Beautiful But Dangerous;or The Heir of Shadowdence」を発表。
1910年(明43)、「四十面相の男」を発表。
1914年(大3)、死去。


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